彼らは鈴鹿大学・鈴鹿大学短期大学部在学中に何を学び、どんな経験を得たのか。
そして社会で活躍する今、その経験がどのように活かされているのか。
4名の卒業生にそれぞれの「今」を聞いてきました!!
- 国際地域学部
国際地域学科大野 綾香さん
- こども教育学部
養護教諭コース楠木 結香さん
- 短期大学部
食物栄養学専攻岡村 栞茄さん
- 短期大学部
こども学専攻宮田 広志さん
アットホームさとグローバル感のなかで身についた、
異文化理解の姿勢を、生まれ育った町で役立てたい!
- 現在のお仕事内容は?
- 南伊勢町の職員として、広報誌制作やSNSでの情報発信といった広報業務と、国勢調査などの統計業務を担当しています。広報誌制作では、全ページの原稿のとりまとめからレイアウト、印刷会社に引き渡すまでを任されています。ひとりでも多くの町民の方に手に取ってもらい、必要なことが伝わるよう、情報の取捨選択やレイアウトを考えます。担当コーナーの取材や表紙の写真撮影をすることも。町民の方とふれあうときや、いい写真が撮れたときにやりがいを感じます。誌面のこどもたちの姿から高齢者が元気をもらったり、「自分の孫が載った」という喜びを感じたりしてもらえたらと考えながら仕事をしています。
- 鈴鹿大学に進学した理由は?
- 好きな英語を深く学びたくて、小規模なこの大学なら、勉強に集中できそうだと思って選びました。校舎がきれいでおしゃれなことと、留学生が多いことも魅力でした。実際、入学してから感じたのが、アットホームさとグローバル感! サークルの仲間や一緒に授業を受ける他学部も含めた学生、学食で出会う友達の友達など、学年や学部に関係なく、たくさんの友達ができました。先生方も学生一人ひとりを見てくれて、質問しやすい環境。そして、アジアを中心にたくさんの国の留学生がいるため、日本にいても多文化にふれることができました。
- 大学時代の学びは、お仕事にどう役立っていますか?
- 現在の仕事では、来庁者や取材先の方など、多くの人と関わります。言葉の壁はありませんが、一方的に判断せずちゃんと相手の言いたいことを理解する姿勢が必要。それができるのは、“ほぼ海外”みたいな環境の鈴鹿大学で、入学前はほとんど機会がなかった、異文化にふれる経験ができたからこそです。東南アジアを中心としたさまざまな国からの留学生と一緒に学んでわかったのは、自分の伝えたいことを100%伝える難しさ。また「異文化コミュニケーション」の授業で、日本人にとっての“普通”が、他国の人には違うことを学べたことも大きな収穫でした。
- 大学時代のいちばんの思い出は?
- 当時あった学生広報部「SUZUKA9」で、合計6回のオープンキャンパスの企画・運営をしました。私はアイデアを出すことが苦手なうえ、副部長という大役も任され、苦労もありました。それでも高校生に楽しんでもらえるよう、当時人気だった韓国のチーズハットグをつくる催しや、韓国人留学生による韓国講座を開いて好評! 司会やキャンパスツアーの案内なども担当して、人前に出て話すことに少しは慣れた成長感も味わいました。
- 「鈴鹿大学でよかった」と思うことはなんですか?
- 私は大学時代の学生広報部でも、広報誌制作を経験しました。読み手のことを考えながら構成を決め、企画から先生の取材、記事の制作、誌面のチェックまで。今の仕事で制作する広報誌は町の全世帯に配布されるもので、大学の広報誌よりも発行部数は格段に多いのですが、制作の流れはほぼ同じ。ある程度やり方をつかめていたおかげで、1年目から戸惑うことなく取り組めています。大きすぎない規模の鈴鹿大学で、一人ひとりを見てくれる先生のすすめで経験できたことが、今につながっています。
なんでも相談できた。チャレンジを後押ししてもらった。
鈴鹿大学の先生方は、求めれば必ず返してくれる!
- 現在のお仕事内容は?
- 保健室でけがの手当てや病気への対応をしたり、悩みごとを聴いたりといった、こどもたちが毎日健康で学校に通えるための手助けをしています。さまざまな学年の児童と深くかかわれることが、この仕事の魅力。こどもたちは保健室で、教室とは違ったありのままの姿をさらけ出してくれます。私もこどもたちに自分の弱いところも隠さず接して、「完璧じゃなくてもいいんだよ」というメッセージを伝えるよう心がけています。周囲の先生方とも協力してこどもを支え、友達と笑い合えるようになるなど成長した姿が見られたときには、とてもやりがいを感じます。
- 鈴鹿大学に進学した理由は?
- 誰にも言えない悩みを相談できた中学生時代の保健室の先生に憧れて、養護教諭をめざしました。鈴鹿大学のオープンキャンパスで看護技術の実演を見学したのですが、先輩と先生のやりとりがとても楽しそう! 想像していた堅苦しいイメージとは大違いで、「先生との距離が近いこの大学なら、手厚い指導を受けられる」と思いました。実際、先生方は助けを求めれば必ず返してくれるので、 授業中の質問も学生生活の相談も気軽にできました。それもゼミの先生だけでなくどの先生にも、です。教員採用試験前の面接や実技の練習に、プライベートな時間を削ってまでつきあってくださった先生には、合格発表後、まっさきに電話しました。
- 大学時代の学びは、お仕事にどう役立っていますか?
- 「学校看護学実習」ではシミュレーター人形を使って、教科書だけではわからない脈や心音の異常を体感し、自分の考えた処置が正しいかを確かめながら学べました。「ヘルスカウンセリング」では学生がこども役と先生役に分かれてロールプレイングをしたあとで先生の見本を見せてもらい、こどもが打ち明けたくなるコミュニケーション方法を学習しました。働きはじめてからは、大学で身についた専門知識の大切さを感じています。なかには救急車を呼ぶほどのけがをする子もいますが、保健室の先生は学校に私だけ。なにが起きても、自分の知識の範囲で対応するしかありません。「こどもの命を預かっている!」という責任を実感する毎日です。
- 大学時代のいちばんの思い出は?
- 「こどもたちと関われる活動をしたいね」と友人たちと話し合って、こどもボランティア部を立ち上げました。協力してくださった先生から交流のあった交通事故被害者遺族の方を紹介してもらい、体験談をもとにした人形劇を小学校で上演。そのほか、養護施設にクリスマスプレゼントを贈るための募金活動も企画から自分たちで考えて実施しました。人形劇の上演後、小学生が涙を流して「命を大切にしようと思った」と言ってくれたことは忘れられません。学生ならではの自由な発想を先生方が支援してくれる、少人数制のこの大学のおかげで、多くの人と出会い、思いにふれられました。後輩のみなさんにも、大学でしかできないことをいっぱい経験してほしい! 必ず大きな学びになりますよ。
- 「鈴鹿大学でよかった」と思うことはなんですか?
- 養護教諭は学校に1人ですが困ったときに頼りになるのが、県内や市内の他校に勤める同じ大学の卒業生の先輩方。鈴鹿大学※は三重県で唯一、養護教諭免許が取得できる学校なので、市の養護教諭の会議などで出会った人に「鈴鹿大学出身です」と言うと「私も」とつながれることが多いんです。特に健康診断の書類作成など、意外に多い事務作業で戸惑ったときに教えてもらうほか、勉強会にも参加させてもらい刺激を受けています。
こどもたちの「おいしかった」「おかわり」がうれしい!
先生や友達の支えがあったから、今の道へ進めました。
- 現在のお仕事内容は?
- ベテランの3人の先輩と一緒に毎日100食近い給食とおやつを調理するほか、食材の発注などの業務を担当しています。勤務先の保育園は給食にとても力を入れていて、私も就職前の見学で試食したときそのおいしさに驚きました。添加物の少ない食材を使い、素材の美味しさを引き出す加熱方法にこだわって調理します。廊下で「今日の給食、美味しかった!」と言ってくれる子や、給食室までお皿を持っておかわりをしにきてくれる子も。先生方から「こどもの完食が早かった」などのコメントをもらえたときもとてもうれしい瞬間です。今後はこどもたちが食材や料理に興味を持てるような環境をつくり、食の大切さを教える活動もしたいと思っています。
- 鈴鹿大学に進学した理由は?
- 家庭科、なかでも調理実習が好きだった私は、高校時代にソフトボール部で選手からマネージャーになり「将来は食でスポーツを支えたい」と思うようになりました。三重県内の短大で唯一、栄養士の資格が取れるのが鈴鹿大学短期大学部。オープンキャンパスでは、先生が学生と一緒になって親しげに話す様子を見て「距離が近そう」と感じたほか、充実した設備も魅力でした。「もっと知りたい!」と、その後も何度かオープンキャンパスに足を運んでよけい好きになり、入学を決意。県内就職率100%や、卒業後に管理栄養士試験の準備講座を受けられることも決め手でした。
- 大学時代の学びは、お仕事にどう役立っていますか?
- 「給食実務論実習Ⅰ」では大量調理を経験しました。事前にグループで何時からなにをやるか、誰がどんな動きをするかを念入りに話しあったのですが、いざ調理が始まると「これをやっていなかった!」「こっちの人数が足りない…」といったことが続出。それでも臨機応変に対応して、時間内に提供と片付けができました。今の仕事でもこの経験を活かして、前日に調理内容を確認し、不安なことは先輩に確認して進めています。最近では前もって聞かなくても、先輩の動きを見ながら判断できることが増えました。
- 大学時代のいちばんの思い出は?
- とても学びが充実していた短大時代でした。私は家ではあまり料理をせず、お菓子づくりをするくらいでしたが、大学では調理技術を習得する実習科目があり、魚をさばくことにも初挑戦。最初は頭を落とすのも怖かったけれど、慣れたら平気でした。実習以外の科目ではレポートやテストがひんぱんにあり、特にコロナ禍でリモート授業となった2年次は量が増えました。それでも友達とチャットで教えあい、やりとげられました。ひとりだったら乗り切れなかったと思います。
- 「鈴鹿大学でよかった」と思うことはなんですか?
- 何でも話せたゼミの先生の存在です! 特に進路を決める際には、最初から考えていたスポーツの分野と、好きなこどもに関わる保育の分野で迷いました。そんなとき、今の職場に欠員が出ると教えてくださり見学に。先生は授業で私が「こうした方がよくないですか?」と提案したときも、「いいね!」と受け入れてとても勉強しやすい環境をつくってくれました。2年次は実習以外の授業がほとんどリモートでしたが、メールをするとすぐ返信をくれたおかげで、不安なく過ごせました。
2年間の学びが実り、めざした保育士に。
こどもたちの可能性を信じて、未来を明るくしたい!
- 現在のお仕事内容は?
- 小学生から18歳までの身体・知的障害のあるこどもたちが通う、放課後デイサービスの保育士です。ひとりで階段を上がれない子や細かい動作が苦手な子など、それぞれできることの違うこどもたち全員が楽しめる遊びを通じて、一人ひとりのできることを増やします。入社1年目の途中からフロアリーダーを任され、保育士の意見をまとめながら実施しています。ジャンプや前転をしながら歩くアトラクションでは、こどもたちは汗だくになりながらも楽しそう。練習方法の工夫で、はしを使って食事できるようになった子も。1つ何かをできることで、生活に役立つのはもちろん、こどもたちの自己肯定感が高まり、未来が明るくなるはず。そのためにも、まずは私がこどもたちの可能性を信じることを大切にしています。
- 鈴鹿大学に進学した理由は?
- 高校3年生で将来の進路を考えたとき、両親からすすめられたのが保育士でした。6歳下の弟のめんどうを見てきたこともあって、こどもの成長を見られる仕事もいいなと思い、保育士をめざすことに決めました。鈴鹿大学短期大学部は2年間でそのための勉強ができるのが魅力でした。短期間に多くを学ぶため大変なときもありましたが、助けてくれた同級生と先生方のおかげで、最後まで頑張ることができました。
- 大学時代の学びは、お仕事にどう役立っていますか?
- 在学時からこま遊びやけん玉、絵本の読み聞かせなどの実技が得意で、同級生にもコツを教えていました。そうした技術、特に読み聞かせは今も役立っていて、コロナ禍のなかで在宅支援を受けるこどもたちのために、読み聞かせ動画を撮って配信もしています。こどもたちの反応を見ながら、キャラクターになりきってセリフを言うのがコツ。最初は恥ずかしかったけれど、授業で練習するうちに、思い切ってできるようになりました。
- 大学時代のいちばんの思い出は?
- 同級生に助けてもらって勉強を頑張ったことです。私は一方通行の授業で内容を聞いて覚えることがとても苦手。そこで友達に頼んで1対1でやりとりしながら教えてもらい、知識を自分のものにできたおかげで、試験でも好成績を収められました。授業後に「ここがわからない」と質問すると何時間も付き合ってくれるやさしい友人ばかりでした。ちなみにこども学専攻の25人中、男子は4人で10代は私だけ。女子ばかりの環境に最初は戸惑いましたが、授業で隣の席に座った人と自己紹介しあったのをきっかけに、次第にみんなと話せるように。今でも一緒に遊んだり、仕事の悩みを言いあえる仲です。
- 「鈴鹿大学でよかった」と思うことはなんですか?
- 先生方がとてもやさしくて頼りがいがあり、フレンドリーに話せるところ! ゼミの先生には卒論指導はもちろん恋愛相談も(笑)。実習で「うまくなじめないかも」と悩んだときには別の先生に相談し、その先生の知人(現在の私の上司)がいる現在の勤務先を紹介してくださったんです。見学とアルバイトでしっかり見たうえで「ここなら!」と思えました。保育士の仕事は思った以上に苦労がありますが、それを超えるやりがいと、自分自身の成長が味わえます。誰にでもできるわけではない保育士の仕事をしている先輩方をとても尊敬します。先生方や友達に支えられてそんな仕事に就くことができました。皆さんともいつか一緒にこどもたちのために働けることを願っています!